PVを作成しました。動画中のコメントは、実際に演技後に頂いたものです。
画質がよろしくないと感じられる方は、直接YouTubeにてご覧頂けると少しマシになるかと思います。
PVを作成しました。動画中のコメントは、実際に演技後に頂いたものです。
画質がよろしくないと感じられる方は、直接YouTubeにてご覧頂けると少しマシになるかと思います。
前々から、自分で自分のPVを作りたいな、と思っていました。
それが完成してしまいましたので、とりあえずブログにあげておこう、と思い、こうしてブログに掲げさせて頂きました。ご覧になった方も居るかもしれません。しかしこのPV、マジシャンのPVだというのにいっさいマジックをしているところを映しておりません。トランプやコインが出てくるので、かろうじてマジシャンっぽさは残してあるのですけれど、それだけです。それは何故か。
普通、マジシャンのPVとなると、マジックをしているところを映してみたり、カッコいいトランプの扱いをHDで録画してみたりだと思うのですが、逆に言えば、そういうのはもう、皆やってるのだと思うのです。更に、そうしたPVで見られるマジックというのはマジシャンの中でもスタンダードになっているところが多く、比べた時、「ふぅん」という感じで終ってしまうと思うのです。
更に、僕の経験上、動画でマジックを行っても、いまいち「凄い!」とまでは感じられないところが多いです。これは多分、動画でマジックを撮影する際というのは、その通り、『カメラに向かって』演技をする、ということになりますので、マジシャンがライブでは出せる『相手を楽しませよう』という雰囲気が伝わりにくい、というところがあると思います。マジシャンは多くの場合、容易く観客のカードを当てたりコインを移動させたりしていますが、失敗は即ち信用の失墜ですので、緊張しながら行っているところが多いはずです。少なくとも僕はそうで、「緊張なんてしない」というマジシャンは観客を扱うことに慣れ過ぎているきらいがあります。
そこで敢えてマジックを映すこと無く、雰囲気だけでも感じてもらおう、ただその際に、今まで僕を形作って来た言葉を映すことで、僕も製作になぞる形でこれまでを振り返ろう、と思い、あのようなPVが完成しました。
コンセプトは、「軽快さ」。
へぇ、という程度で楽しんで頂ければ幸いです。
普段はお仕事の話は記事にしないのですが、面白いイベントだったので。
マジシャンとしてあちこちに赴かせて頂いているのですが、その理由もまた、様々です。サプライズだったり、イベントのショーだったり、合コンなどの火付け役だったり、宴会の余興だったり、ウェディングだったり、ストリートショーだったり、テーブルホッピングだったり、幼稚園などでのキッズショーだったり、およそ「楽しい雰囲気」の場所であれば何処でも行けるのはマジシャンの役得だと思います。
ただ、マジックをするとほぼ必ず「初めて見た!」と喜んで頂けます。それはもしかすると、マジシャンは(高価な)スーツを着ていて、トランプを使って妙技を見せる、というイメージが強いのか、セレブリティな皆様が「オホホ、これは素晴らしいざます」と言いながら「チップざます」とお札を渡す、という印象が根付いているのかもしれません。以上のことから、マジックが未だに一般層には浸透していない娯楽であること、そして僕はセレブリティに対して至上のステレオタイプを抱いていることが分かります。
実際には、お仕事は上に挙げた様に多岐に渡り、決してセレブリティな皆様と、ワインを左手、葉巻を右手に、膝にはペルシャ猫、ガウンを着こなして、夜景をバックに、超高層ビルの最上階で、華麗に優雅なお仕事、ということは滅多にありません。今のところ、僕はそういうお仕事を受け持ったこともありません。それ故の、「お金持ち」へのイメージが貧困であったことをここにお詫び申し上げます。
ですが、先日のイベントは非常にハイソサエティでした。何がって、「カジノパーティ」という名目でのイベントがあったのです。どういうことかと言えば、食卓を一度片付けて、ポーカーテーブルやルーレットを置き、そこに飲み物を持って座り、ポーカーやブラックジャック、バカラなどを楽しむというイベントだったのです。安易に知り合いに「イベントで手品やるよー、(別にタダになるとかじゃないけど)来ればー?」とか言って「いやいや」と断られたのですが、今思うと断られて良かったです。それくらい雰囲気がありました。
カジノとは言っても、仮想貨幣としてチップを購入し、このチップの獲得数が最も多かった人から順に景品が当たると言う、実際にはギャンブル、博奕、ではなくてそういう趣旨のゲームでした。チップ=マネーではなかったのでとても健全で、僕は参加者ではなくてエンターテイナー側だったのですが、気分は完全にライアーゲームでした。個人的には会場BGMがPia-no-jaCだったのも好印象です。多分、必勝法は「バニーのHigh & Lowでひたすらチップを稼ぐ」だったはず。あと、ゲスト同士でのチップのやりとりも禁じられていなかったから、その辺もルールの穴な気がする。
お食事もバイキング形式で用意されており、それを楽しみながらギャンブリングを楽しむ。ギャンブルに疲れたら、少し離れたところで食事を楽しむ。そこに僕が近づいていって、近くのキャンドルから火柱を立てて、その中からコインを取り出してマジックをしていたりしたわけです。ゲストの皆様はもちろんですが、彼らのメインはギャンブルを楽しむことだったので、ボーイさんやシェフの方にお見せする機会もありました。楽しんで頂けて何よりです。
何故、普段はしないお仕事の話をしたかというと、日本でも(というか札幌でも)、こういうイベントがあるのですよ、ということです。そして、総動員数は100人を超えていたとか。宣伝効果も抜群でしょうし、こういうイベントが増えていけばパフォーマンスの場だって多くなりますし、良いのではないかと思うのです。
むしろ僕が企画しても良いですから、興味のある飲食店の方、やりましょうよ。
突然ですが、北海道立近代美術館に行こうと思いました。
そうです、著名でエネルギッシュな作品を見て、「なるほど、これがかの有名な……」と知ったかをしようと思ったのです。
ただ実際、そうしたエネルギッシュな作品やパンキッシュな作品を見たり聞いたりすると、色々なインスピレーションが沸くことがあるので、決してこれは無駄ではあるまい、と決意したが早かったか、散歩に出かけたその足でそのまま美術館に向かいました。この美術館、色々なイベントをやっていることが多いのですが、そう言えば今は何を展示しているのだろう、以前はアンティークなものをたくさん展示していたはずだが、と思いながら、それなりにわくわくして行ったのです。
そして休館でした。完璧なオチです。
ただ、地下鉄に乗ってそれなりに苦労してここまで来たのだ、何かしらせねばもったいない気がする、というコンコルドの誤りの手本みたいな理由の結果、近くのカフェにお邪魔することにしました。そういえば先日、「最近カフェを発掘してない」とブログに書いたなぁ、と思いながら、これはちょうど良いのではないか、と考えて辺りを散策しました。
美術館の客層を狙っているのか、何故かあの辺りはカフェが多かったような気がします。ちらちらと見るだけで、五分で三つか四つくらいは個人経営のカフェが立ち並ぶ状況です。どれもオシャレで、常連さんになったら美術館の帰りに友達に「良いカフェがあるよ。近くだから行こう」と誘いたい雰囲気を醸し出しています。美術館に行きたいという希有な友達は僕にはいませんけれど。
本日お邪魔したのが、クレタというカフェでした。あまり目立つ立地ではありませんが、美術館の中庭を二階から臨めるという好条件で、店主さん曰く、「ちょっと変わった人が来るカフェなんですよ」とのことです。やった、変人の仲間入りです。
チャイを飲みながら、簡単なマジックを見て頂いたりしました。そのときに店内にいらっしゃった方がフルマラソンに出場するとかで、緊張の面持ちだったのですが、マジックを見ている間にすっかりリラックスできたと仰ってくれまして、僕としても楽しい時間を過ごせました。
そのまま少し長居させて頂き、個人経営のカフェにある良さについて再認識したり。個人でやってらっしゃるカフェは、オーナーや店員さんの人柄に支えられているところが大きいので、その人のような人達が必然に集まるのですね。だから、そのカフェ独特の色というか、雰囲気作りのようなものが自然と出来て行く。そういうのが面白いですよね、というお話をしました。札幌近郊には僕が時々利用するカフェが幾つかあるので、そのうちブログで紹介するのも良いかもしれぬ、とそんなことを考えながら家路につき、お話したことを頭の中で反芻したりしながら今に至ります。
ただ、何となく気になるのは、「宇宙人っぽいって言われませんか?」というオーナーさんからの質問でした。何で宇宙人。
種明かし番組について真面目に考えてみた。
次こそはくそ真面目な記事じゃなくて、何かほのぼのとした奴を書くぞ、「最近見つけたカフェでやってるランチタイムなんですけど、そこで出てくるデザートのモンブランが絶品なんですよー><」みたいな女子力が高い記事を書いてほんわかした気持ちになるぞ、と思ったのですけれど、ついこの前、「マジックの種明かし!」みたいな番組があって、毎度のようにTwitterでマジシャンやマジック愛好家の皆様が「けしからん!」と憤っていたので、それについて記事にしてみる必要がありそうだ、と思ったので、今回もそんな感じです。
よくよく考えればカフェなんて最近新しく発掘してませんし、僕はランチタイムにカフェに行くことって滅多にないですし、僕は女子ではないので、女子力の高い記事は他のブログ(現役で女子の皆様方)にお任せする形にしようと思います。
さて、マジックの種明かし番組、これは意外と頻繁にあります。昨今はマジックが少しだけ流行の兆しを見せているような感じがします(番組のミニコーナーにマジシャンが出演など)が、そうでなくても種明かし番組自体は多くあると思います。平均すれば、ひと月に一つか二つくらいはそういう番組、あるいはそういうコーナーが設けられるように感じられます。名目は様々ですが、ハイスピードカメラの性能との比較に使われたり、「明日使えるマジック」といった感じで種が明かされたり、或いはもっと酷くなると、「貴方は見破れるか!?」のようにクイズ形式になっていたりします。
まず、前提としてマジックはあるがままを楽しむことが推奨されるものです。これについては以前に記事にしたことがあるのですが、マジックは、規模は違えど、演劇や映画、ドラマや小説、漫画やアニメ、ミュージカルやサーカスといったような娯楽と同じカテゴリーに入るものであって、もともとはパズルやクイズといった娯楽とは違うカテゴリーです。
日本人にとってマジックというものが娯楽としてあまり一般的でないというのもあってか、僕はマジシャンとして、多くの日本人はマジックをどのように楽しめば良いか知らないという感じを受けます。そこで、「演劇を見る感じで見てもらえれば」というのが僕のスタンスであります。つまり、「あの演技は嘘くさいな」とか、「あのセリフは伏線に違いない」といったようにいぶかしむ様に観るのではなく、キャラクターに感情移入してシナリオそのものを楽しむ、といったように観てもらえるのが理想だと考えています。もちろん、どんな風に楽しむか、というのはお客さんの自由ではあるのですが、あくまで僕の主観的な意見としては、そういう風に楽しんで貰えると良い、と感じています。
1;視聴者に与える「態度の強制」
しかしここで重要なのは、テレビが「種明かし!」や「見破れ!」といったスタンスで放映してしまうことで、何も知らない視聴者はとても自然な反応として、「種を明かすぞ!」とか、「騙されないぞ!」という構え方をしてしまう、ということです。言い換えれば、テレビの演出が観客の「見方」や「態度」を操作、より強い言い方をすれば強制してしまっているのです。そして、テレビがそうした演出を繰り返しているうちに、「マジックは見破るか騙されるかというもの」といった感覚が視聴者に刷り込まれてしまう、まずこれが第一の「種明かし番組」の弊害です。
当然ですが、「騙されないぞ」としてマジックを観ることは、非常に神経質にマジックを観ることになりますので、ストレスを感じさせます。また、騙されない、というスタンスで観ている以上、マジシャンが鮮やかなマジックを披露したときに彼(彼女)が抱くのは、「凄い!」ではなくて「騙された!」ということになり、不必要な敗北感を与えてしまうことになります。こうなると、テレビのみならず、実際に目の前で観るという幸運な機会があったとしても、その人はそれを楽しめないのです。これは本人のみならず、マジシャン全体にも不利益です。
2;種を明かすことの本当の影響
では、テレビの中で明かされる種については、どうでしょうか。実際のところ、そうした状況で明かされるトリックの多くは、『あんな程度の種を明かされても痛くも痒くもない』というマジシャンが殆どだと思います。では、何が問題なのか。むしろ、『マジシャンは種が明かされて可哀想』と思われること、そっちの方が弊害になると僕は考えます。
どういうことなのか、と言えば。
トリックが明かされるときに必ずと言っていいほどゲストの芸能人が言うのは、「こんな簡単なことなんだ」とか、「こんなのが分からなかったんだ」といったコメントです。その通り、マジックの種というのは、分かってしまうと単純である、というものが多いのですが、実際には種は単純でも、非常に考え抜かれた心理学やタイミングの調整などによって驚きを提供しています。これは大変な努力が必要であり、「種が単純であればあるほど、マジシャンの技量が試される」と言っても過言ではありません。言い換えれば、単純な種で不思議を提供できることは、むしろ優れたマジシャンである証でもあります。
しかしながら、「とても単純な種」というものを提供してしまうことで、観客は「マジシャンって大したことないんだな」とか「実は簡単なんだな」といった印象を受けてしまいます。これによって、マジシャンという存在のカリスマ性が失われてしまうのです。こうなると、やはり実際にマジシャンの演技を生で観ることが出来る機会があったりしても、「大したこと無い」とか「たかがマジック」といった形で、観ずに終ってしまう結果になってしまいかねません。こうなるとマジシャンに対しても営業妨害です。実際に観れば「凄い!」と感じて頂けるかもしれないチャンスが、テレビで観た「大したこと無いマジシャン」という印象のせいでそっくりそのまま失われてしまうことがあるのです。
最初に言及した様に、「種が明かされて可哀想」と思われるのもマジシャンのカリスマ性を損ないます。より語弊を恐れず、強い言い方をするのなら、「その程度だと思われては困る」のです。マジシャンは、俳優やある種の芸能人のように、カリスマ性を伴わねばいけない職業の一つです。それは、特殊な芸能を持つという点で彼らと同等であり、更に「そうであること」が、マジシャンの演技自体に非常に重要なのです。この点は、対人心理学(ハローエフェクト)などに関連してくるので、長くは書きませんが、オーラの無い俳優や芸人が魅力的に見えるか、上手に仕事をこなせるか、と言えば、おそらくそうではないであろう、ということが分かるでしょう。
また、手品の種を何の代償も無しに明かしてしまうことで、マジックの種というものが非常に安くなってしまう、というのもあります。その為、実際の演技の中でお客様と応対した際に、「教えてよ」と簡単に言われてしまうことがありますが、簡単に教えて良いものではないのです。
3;誰のマジックなのか
ここまでの影響は全て観客への波及ですが、よりダイレクトなダメージを受ける人も居ます。種明かしされるマジックの考案者です。
マジックというものがどう生まれるのか、ということについては、マジシャンになってみないと分からないことではあります。実際のところ、マジックというのは(当たり前ですが)考える人が居て、考案者以外がそのマジックを演じたいのであれば、その人に許可を貰ってマジックを演じている、ということになります。最も簡単なところで言えば、商品化されて売られているマジックを買うとき、そのマジックの道具のみならず、上演権も一緒に買っている、というのが通説です。
その為、例えばYouTubeに上げられたマジックの映像を見て種が分かったからと言って、それを自分の演技に取り込んでしまうのは盗用であるという見方ができますし、商品化されているマジックであっても、「但しテレビなどでの使用は禁止」と注意書きがある商品もあります。アマチュアや非常に若いマジシャン、学生などの中には、他人が演じたものを観て、種が分かってしまったらすぐに自分でも取り入れる、といった無作法な方もいらっしゃいますが、基本的にはそうしたことは「失礼である」、「権利の侵害である」、「知的財産を侵している」といった暗黙の了解がマジシャンの間にはあります。
種明かしされるマジックというのが、出演するマジシャンが自分で考えたものであれば何も問題はないのですが、大抵の場合は「他の人が考えたマジック」が「勝手に」種明かしされている状況です。輪ゴムを使ったマジックです、とか、トランプを使った簡単なマジックです、といった規模の問題ではないのです。そのマジックは、他人が考えたものであって、それを勝手に暴露することは許されるべきではないのです。その為、先に述べたように「そんな種を明かされても痛くも痒くもない」マジシャンですら、「なんと非常識な」と怒りを露にする結果になるのです。
事実、そうした形で「マジックで絶対に明かしてはいけないタブー」を犯したことで、コミュニティから追放されたマジシャンも居るほどです。ここは、一般人が思う以上にセンシティブな問題を孕んでいるのです。
以上、三つの理由が、僕が考える、マジック種明かし番組が抱える問題点です。誰も得をしない、こうした構成の番組が少しでも減って、純粋にショーとして楽しめるマジックの番組が増えれば良いのにな、と思います。
頭の回転が言葉に比べて遅いと感じる人と、早いと感じる人が居る話。
マジシャンだから、というのも関係ないわけではありませんが、僕は元々、かなり言葉を選ぶ方です。選べるだけの語彙力があるかどうかと言われれば「ぐぬぬ」となりますが、限られた語彙の中でも最善は尽くすようにしています。
マジシャンとしてどういうときに言葉を選ぶかと言えば、お客さんを楽しませる為にどういった言葉を使うか、というのがメインです。どの程度畏まった表現を使うべき相手か、或いは砕けた表現を使った方が良いのか、「一枚カードを引いて下さい」と言うのか、「一枚カードを引いてもらって良いですか」と言うのか。より細かいところでは、「好きなカードを選んで下さい」と言うのか、「どれでも一枚とって下さい」と言うのか。こうした言葉はどれも同じに思えるかもしれませんが、実際には全く違う結果をもたらします。
ですが、これは一般的なことでも同じだと思うのです。こちらがどういった意図で使った言葉かに限らず、言葉の意味は受け取る側に左右されるのです。「そういう意味で言ったんじゃないんだ」と後から付け加えても、手遅れであることも多いでしょう。また、相手によって言葉を使い分けることも大切だと思います。仲間内では「バカだな」と言えば「最高に面白いな」という意味になるかもしれませんが、外で「バカだな」と言えば単なる侮辱です。
口の利き方がなってないな、という説教のつもりは全くないのですが、Twitterで他の方と連絡や意見交換を行ったり、メールのやり取りをしたり、実際にお会いしてお話したりするとき、「あぁ、この人は何も考えずに喋ってるな」というのが分かってしまい、何となく残念な気持ちになることがあります。
これは同年代だとか、年下だとか年上だとかということは全く関係なく、普段から発言に対してどの程度の気を配っているかという問題だと思うのです。僕は滅多にTwitterで一度フォローさせて頂いた方を途中でリムーブすることは無いのですが、繰り返しTLに現れるそうした無作法な言葉を見るのが耐えられなくなり、フォローリストから外させて頂くこともあります。むしろ、僕がフォローをしなくなるのはそういったところが9割の原因です。
なるほど、それは確かにそうだ、と感じて頂けると嬉しいのですが、しかしこの言葉の問題、実はかなりありふれていて誰でも犯している間違いであるように思うのです。卑近な例で言えば、ネットでは笑いを表すのに「w」を使ったりします。「それは面白いなw」といった具合です。
しかし、この「w」の表現を嫌う人も多いです。僕はただのネットスラング、あるいは表現の一つとして考えていますが、このような表現を、何となくオタクっぽい、俗っぽい、低レベルっぽい、という印象を持っていて、「すげぇwww」などの表現を見るだけで鳥肌が立つ、という人も居るわけです。もちろん、ネットではこの表現を使うことで単なる(笑)などよりも豊かな表現が出来ますし、使うこと自体は悪いことではありません。ただ、相手を選ばねばなりません。相手に共感しようとして打った「面白いですねw」が、相手にとっては馬鹿にされたと感じるかもしれないのです。
このように、単純に「何を言うか」の他、「どう伝えるか」という点まで考えると、言葉の使い方というのは難しいものだな、と思うのです。言葉はありふれたものですが、だからこそ濫用にならないように気をつけなければならないのではないか、などということを、自分の身の振り方のことも踏まえつつ、ここ最近のTwitterや身近な出来事などから考えています。
何か面白いオチでも用意しておきたかったのですが、二回連続で割と真面目な話になってしまったことをお詫び申し上げます。おかしい。こんなはずじゃなかった。
重要なファクターとして認められていないのではないかと思う。
マジシャンなんぞやっていますと、色々な人と連絡を取り合うことが多くなります。普通のサラリーマンであってもそういう機会は多いかと思いますが、フリーや個人でパフォーマンスをやっている身としては、完全にフェイストゥフェイスで顧客と向き合わなければならない状況が圧倒的に多いのです。そういった時に感じるのが、連絡が来ないだとか、メールが帰ってこないだとかといったような、疎通の不備です。
一般的なメールの返信というのがどのようなものかは分かりませんが、僕はどんなメールであっても、返信する必要があるメールには24時間以内に返信するように心がけています。また、提出や添付などする必要があり時間がかかる場合は、その旨を伝えるようにしています。しかし、返信は下手をすれば一週間、或いは更に悪い場合、催促しなければ戻ってこないなどということもあります。
相手も忙しいのでしょうから、少しくらいならば返信が遅くても許容しなければならないというのが現状であろう、というのは分かります。可能な限り早くに返信を行うべき、というのが実際のところではあるでしょうし、それがマナーだとも思っていますが、それが巧くいかない場合だって当然、あるでしょう。ですが、催促するとメールが帰ってくる、というのは余程に悪い状況です。それというのは、催促のメールは確認しているということで、それよりも前に送ったメールは意図的に後回しにされていた、ということだからです。
二ヶ月ほど前のことですが、僕はとある会社と、作品集を出すかどうか、といったお話や、マジシャンとして作品を提供させて頂くというお話をさせて頂きました。しばらくはそのまま進んでいましたが、相手側からの返信がなくなってしまい、こちらが催促してようやくメールを頂けるという状況になり、不信感が募った僕はその話を白紙にさせて頂いたのです。
そんな僕と似たような境遇の中で、あるマジシャンがDVDの発売を中止する、という話がTwitterのタイムラインに流れました。DVDの販売元は僕がお世話になっていたかもしれないそのグループであって、彼も連絡が取れないことから制作を続けることが難しくなってしまった、という話です。僕は作品集や作品提供のお話は秘密裏に進めていましたので、キャンセルにしたとしても特にダメージはなかったのですけれど、彼は大々的にそれを宣伝していましたし、また、そのグループもそれを目玉商品にしようとしていたようだったので、これは双方にとって良くない影響を与えたのではないかと思います。
総じて言えることは、フリーで活動しているマジシャンというのは、まだまだ市民権が得られていないという現状かと思うのです。パトロンがついていたり、連続して使って頂けるクライアント様は別ですが、新規のクライアント様を得ようとしたとき、あまりに粗末に扱われている現状には、何となく悲しいものがあります。
この辺り、何か良い落としどころや解決策が無いだろうか、と何となく考えています。
語源は唐の時代に遡りますが。
自分の身分や名前などを記した、ビジネスでは無いと困るアレのことを、英語ではbusiness cardと言い、日本語では名刺と言いますが、僕は断然、日本語で言う方が素敵だと思うのです。英語での表現にも素敵な由来というのは多くありますが、どちらかと言えば慣用表現のようなものの方が多く、単語として唸らせられることは日本語の方が圧倒的に多いような気がするのです。何を言っているんだ、と仰られる方は多分正常です。
どういうことなの、と言えば。
例えば、英語で「またの機会にね」と言うときは、I’ll take a rain check. と言います(rain check とは本来、コンサートなどで雨天延期の際に配られる整理券の意味)し、「状況は(貴方次第で)変えられる」といった意味の時には、不思議の国のアリスの台詞などを引用して You can always paint the rose red. と言えます。かの様に、英語はイディオムでのオシャレな表現が多い一方、日本語では単語自体の表現が綺麗であるように感じられるのです。その中でも、「名刺」という表現は群を抜いてはおりませんか。
何せ、「名」を「刺す」ものなのです。それを渡すことによって、相手の心に名前を刻む、という、相手の印象に残すという気持ちが全面に現れています。自分の名前を、相手に突き刺すイメージで残す、その為のツール、名刺。ビジネスカードと言ってしまうと大量生産されたただのカードですが、名刺、というととても大切なものに思えてきます。そんな風に思うと、自分の名刺と、そして名前を大切にしたいと思うところなのです。「堂本秋次です、よろしくお願いします」と。
先日、とある方とお会いした際、久々に女性に間違えられたので、特に彼には名前を刺しておきたいと思っております。まさかこの歳になってまで女性に間違えられるとは思ってなかった。酔ったミドル世代の方に冗談半分で間違えられるならまだしも、同年代の方で素面の方に間違えられるとは思ってなかった。泣いてなんか無い。
手品の、新しいネタの関係で。
僕は思うのですけれど、大型書店などに行くとある、店員さんにいちいち「なんとかという本は何処ですか」と聞かなくても何処の棚にあるかを表示してくれるあのマシン、あれはもうちょっとなんとかならないのかな、と思う次第です。
一つには、あれの操作性があまり宜しくないことが多いのです。大体の場合、あれってタッチパネルで操作するもので、あいうえお順になっている画面に直接タッチするようになっていると思うのですが、その性能が良くないのか、上下左右一つずれて表示されることもざらです。それのせいで前の人が「あれー?」となっているのを見て、「まだかなー」と感じてしまったりしているのに、自分もいざとなったら「あれー?」となって後ろの人に「早くしろよ」と思われてしまうということもよくあります。
もう一つには、あれって後ろや隣の人から、その人が何を検索しているのかが丸わかりなのです。あれは様々なとっかかりから検索できるようになっていますが、大体は本のタイトルから検索していると思います。著者名は分かるが、タイトルが分からない、ということは滅多に無いのです、何故か。
また、本のタイトルはある程度内容が分かるもので、十八禁な感じのタイトルを検索しているおじさまや、明らかに異性交遊ならぬ同性交遊の類いであろうジュブナイル小説を検索している女子高生などなど、それはほぼ「私こういうのが好きです」と公然に暴露しているようなものなのです。本屋の店員さんにバレる(バレる?)のは仕方ない(仕方ない?)としても、全く関係のない一般人に自分がどのような本を買うかが分かってしまうというのは、何となく恥ずかしいものであるな、と思うのです。
ですが、何を恥じることがあるか、という考え方も出来ます。「そうだ、私はコレが好きなのだ」と胸を張ることで、むしろ清々しさを感じさせることもできます。かなり濃い感じの十八禁っぽいタイトルを検索し、後ろに並んでいる人に存分に見られた後で、「お待たせしてすみません、どうぞ」と笑顔で会釈することが出来たら、それはもう立派な紳士ではありませんか。今回、僕は別にそういう類いの本は検索していなかったのですが、もしも見られたくない類いの本を検索する機会があっても、そういう風に心がけたいな、と思うのです。
ただ、今日の検索は「スリ 技術」「スリ 万引き」「泥棒 テクノロジー」「盗む 方法」などと検索していたので、会釈の前に警察を呼ばれても仕方がなかったかもしれないのです。
とか言いながらTポイントはちゃんと貯めています。
「ごめんね、今、財布がすっからかんなんだ」と言えば、大体の飲み会の誘いを「しかたねーな」という感じで断ることが出来る(何度も続けるとそのうち誘われなくなる)ことからも分かる様に、財布の中身が無い、というのは直結して「お金がない」という意味であることが多いですが、しかし財布が膨れているからといって「おいお前金持ちだな」となるとは限りません。その最たる理由が、カードです。ここでのカードとはポイントカードやクレジットカード、電子マネーを搭載したカードや保険証や免許証などのことを示すのであり、トランプとは一茶無関係です。
このカード類、かなりの種類があります。どういう法律になっているのかは僕には分かりませんが、割と自由に、あちこちのお店がカードを発行しています。それは会員証だったり、ポイントカードだったりしまして、会員証の場合、これが無ければ施設そのものを利用できなかったりするので、仕方なく作ることも多いでしょう。この場合、会員証とポイントカードがセットになっていることも決して珍しくはありません。それだけを聞くととてもお得であるように思われますが、その実、だいたいにおいて、ポイントというのは還元率が非常に良くないものです。
例えば、100円で1ポイントを贈呈、という名目のポイントカードは比較的多いかと思います。そしてこの還元率、何となくリーズナブルな感じがしますが、実際にはたったの1%です。そう考えると、お得感が一気に薄らいでしまいます。
また、この100円の定義も曲者です。大体の場合は、「消費税抜き」の価格で100円ですので、実はコンビニなどで100円ぴったりの商品をワンコインで買おうとすれば、それは実質96円だったりするわけで、ポイントは1もつかないのです。同様に、200ぴったりで買い物をしても1ポイントしかつきません。仕方ないとは言えど、何となく踊らされている感じがするなぁ、と思わざるを得ないのです。
そんなことを考えながら、何となく来ていたメールを開いたら、海外への航空券を買った貴方にホテルの宿泊費を5%割引! とあったので、「消費税分じゃねーかYO」と思いつつ何となく続きを見てみたら、宿泊費が10万単位だったりして5000円もお得だったので、これはアリなんじゃないかな、と考えを改めたのです
が、よくよく考えたら10万もするホテルに泊まるような人が5000円の割引につられるとは到底思えないので、やはり踊らされているような気がするのです。