Theatre 1

マジックと演劇というものについて。

ひょんなことから、Twitterで「マジックと演劇の関連性についてまとめてみよう」とつぶやいたところ、「期待しています」なるレスポンスを頂いたので、適当なことを書けなくなってしまいました。しかも、「演劇って言うのはいわゆるメイエルホリドなんですか、それともスタニスラフスキー的なものを言うんですか」みたいなことも仰られていたので、それらの名前についてうろ覚えだった僕は色々と調べて、あたかもレポートのようなものを書くことになってしまったのです。身から出た錆とは、まさしくこのことです。

さて、今回、マジックと演劇の関連性について、みたいなことを書こうかと思ったのですけれども、ここでは演劇がどのようにマジックに結合されていったか、という歴史的背景を扱うことはしないことにします。理由としては、一つに、僕に十分な知識があるとは思えないこと、もう一つには書くと長くなりすぎるであろうこと、そして前に挙げた二つの理由から、無理矢理に書こうとすると「適当な知識で間違いだらけなのに冗長な文章」を書く結果になるだろうことが挙げられます。

では何を扱うのか、ということになるのですが、それは現代演劇とマジックの関連性というか、類似点についてです。マジシャンにとって、観客との適切な距離感というのは常に悩ましいところなのですが、僕の持論としましては「マジックは演劇の一種である」と考えていますので、これを用いてどのように奇跡を演じる(マジックをする)のか、そのときの観客との距離とは? というところをメインに書いていきます。マジシャンの視点から書きますが、一般客の方でも「そうすれば楽しめるのか」というような感じの印象を受けてもらえる様に書くつもりですので、どうかよろしくお願いします。

しかしまずは、先に現れたメイエルホリドとスタニスラフスキーについて触れておかねばならないでしょう。歴史的観点からの出典としては利用しませんが、「今回はメイエルホリドとかスタニスラフスキーとかは語りません」というのはちょっと手抜き感が凄いからです。

メイエルホリドについては、演劇の様式美を追求した結果として象徴派へと傾倒した方だという程度に抑えておいてもらえれば大丈夫です。演劇における象徴派とは、「演劇とは観念的で象徴的、かつ総合的、主観的、装飾的であるべきだ」というものです。よくわかりませんね。僕もです。簡単に例をあげてみましょうか。例えばある二人の男女の恋が実るまでの話を演劇にするとしましょう。普通(つまり客観的・自然的)には、こういったラブストーリーの最後はハッピーエンドです。

人間の愛を題材にして、その心の豊かさを表現するのが一般的であると言えましょう。逆に言えば、人の愛を題材にする以上は、そういったものを表現するのが自然だろう、という感覚です。しかし象徴派は、あらゆる題材を主観的に装飾します。例えば、この二人の男女の為に犠牲になった人々、裏切られた人間、傲慢な側面などを浮き彫りにした演劇を構築することで、人間の愛を題材にしながら、その醜悪な側面を表現したりするのです。このような、何を表現するかについては、多少不自然だったり、キャラクターが人間としてあり得ない行動を伴っていたりしても、主観的な観念によって決定されるべきではないか、という主張です。

一方で、スタニスラフスキーというのは演劇の構築の部分というよりも、役者の心の問題を扱います。キャラクターは生きていなければいけない、という感覚でしょうか。余談ですが、僕が学生時代に演劇をやっていた際は、偶然にもこのスタニスラフスキー・システムと呼ばれる考え方で演出をしていました。そのことでメンバーと何度揉めたか。

閑話休題、スタニスラフスキーの演劇とは、役者はそのキャラクターになりきらなければならない、という演劇です。キャラクターは、そのストーリーの中で心を持って生きているべきである、という主張です。これは一見すると至極もっともなのですけれど、役者がキャラクターになりきって演技をした結果、ストーリー上は好ましくない演技になってしまったりします。例えば、極端な例としては、どうしても好きになれない相手とキスをするシーンがある、などです。このことから分かりますように、これは役者がキャラクターになりきれるかどうか、という問題でもあり、そのため、役者にとって個人差があるのも当然で、演技練習として確立しにくいなどの問題点があります。

とりあえず、今回の記事の内容としましては、この辺りを抑えておいて頂ければ問題ないかと思います。かなり大雑把かつ語弊を含む可能性のある説明をしましたので、お詳しい方で「違うよ?」という訂正などありましたら、お寄せください。お願いします。

そしてここから先、マジックとはメイエルホリドの象徴的な演劇に近しい一方で、形式美にとらわれる必要は無く、不自然な演技はあまり好ましくないのではないか、という部分的なメイエルホリドへのアグリーメントが一つ、スタニスラフスキー・システムを採用することによるメリットとデメリット、などと話が発展していく予定だったのですけれど、思った以上に長かったので次に続きます。また近々更新予定です。

そうです、タイトルに「1」とついていることに嫌な予感を覚えていた貴方、正解です。